※本ページは、アフィリエイトプログラムによる収益を得ています。
こんにちは!マヤ暦みさちゃんです🥰
ブログに訪れていただき、ありがとうございます🙏✨
このブログは、おんぶと読書とマヤ暦を愛する管理人みさちゃんの、偏愛の結晶です。
毎日が、今までの人生で一番楽しい。
今までそれなりにいろいろありましたが、心からそう感じる毎日です。
そんな私のルーツを、このページではご紹介します🥰
私自身を知ってもらうきっかけになれば嬉しい限りです。
小学生〜大学生
小学生から大学生までは、いわゆるお勉強のできるいい子ちゃんでした。
昔から本が大好きで、小学生の夏休みは毎日図書館に通っていました。
生徒会や体育祭実行委員長もやっちゃうような、先生からすると「頼りになる〜!」な子でした。
高校生の時は女子バスケットボール部(女バス)で、朝練、昼練して、放課後も部活してました🏀
そんな高校生のとき、「地球を救いたい!」と理系の進学先を選択。
地球環境のためになる何かを開発する、そんな科学者の仕事をイメージしていました。
実は私は完全なリケジョ。
クラスに女子は3人だけという大学生活でした。
大学では体育会系の部活(女子ソフトボール部)に所属し、
できないという言葉は、やりたくないを言い換えただけ
と平然と言い放つ監督のもと、朝も昼も夜もグランドで練習し
ストイックで最高に楽しい青春を謳歌していました。
夜は歯しか見えない肌の黒さだったw
会社員になる
大学では部活を引退してから、当たり前のように就職活動を始めました。
起業している人も周りにいなくて、どの会社にするかという思考でした。
大阪を愛し、大阪を出たくなかった私は、関西の企業の面接を片っ端から受けことごとく落ちます。
本当に心が折れまくりました😂
そんな中、とある企業の面接で「なぜそう考えたのか?」を深掘りされ、私の人生を大放出。
その面接で合格し、晴れて会社員になりました。
本当にあの面接では、良い経験をさせてもらいました。とても良い面接でした。
転勤
就職してからは、東京在住の彼(今の夫)と遠距離恋愛になったので、週末にどちらかに移動して過ごす生活でした。
五年ほど付き合いを続け、めでたく結婚…と話が進んだのですが、如何せん私の職場は遠方。
東京にも一応オフィスがあったのですが、全く畑違いの仕事で転勤の前例もありません。
😂結婚式のスピーチで当時の上司が「会社を離れるのは残念…」と辞める前提でコメントしたり
😂「頑張れとは言ってたけど、絶対無理だと思ってた」と友人に言われたり
私以外の誰もが、転勤できずに会社を辞めると思っていました。
私自身は会社を辞めたくなくて、できれば転職ではなく転勤で東京に行きたい。
本当に必死だったので、「なんとかなりませんかね?」と知っている人に声をかけまくり…。
なんと異例中の異例で、転勤の要望を叶えていただいたのです😭
何度も諦めかけたときに追い風がビュンビュン吹きました。
ミラクルというのはこういうこと、というのを体感させてもらいました。
いま「道がないと思っても、行動すれば道がひらける」と思えるのは、この時の体験が大きいです。
関わってくださったすべての方に、感謝の気持ちしかありません。
転勤後、東京での仕事はとても楽しかったです。
仕事は違えど知った会社、知った起業風土だったので、満足のいく職場環境でした。
ですが程なく、妊娠が発覚。
転勤からちょうど一年で、産休に入ることになりました。
ナチュラル志向とおむつなし育児とさらしおんぶ
長女妊娠
昔から何か困ったことがあったら、読書から答えを得ていた私は、妊娠中の過ごし方のヒントを得るべく本屋さんに寄って棚を物色します。
そこで『医者いらずの出産&育児』という、まさに人生を変える本に出会います。
妊娠前は毎日職場で缶コーヒーを2本くらい飲んで、割とジャンキーに過ごしていた私は、この本を読んで「気をつけなあかんこと…いっぱいあるやん!!!😱」と衝撃を受けました。
ここから、今のナチュラル志向が始まったと思います。(今はゆるゆるですが)
また幼少期卵アレルギーだったため、「妊娠中は卵を控えた方がいいかも…😰」という根拠のよくわからない情報を信じ、仕事も激務だったのでいろんな意味で情緒不安定な妊娠期を過ごしました。
里帰り出産で、月曜日の午前中まで出勤して、その午後に新幹線で帰るという無茶な日程でした🤣
上述した『医者いらずの出産&育児』で書かれていた布おむつも実践したい!と思い、「布おむつでやろうと思ってる」といろんなところで話すと、布おむつがどんどん集まってきました。
母の友人がくれたりした
初産の里帰り出産を控えた帰省中は、古い友人と会ったりしてまったり過ごしました。
部活の先輩宅に訪問させていただいた時です。
仲良しだったその先輩は、なぜか布おむつ育児真っ最中。
私も布おむつやろうと思ってるんです!と言うと、「おむつなし育児って知ってる?」との質問が。
そこで『おむつなし育児―あなたにもできる赤ちゃんとのナチュラル・コミュニケーション』という本を見せてもらいました。
おむつなし育児との、運命の出会いです。
その先輩は後に出産お祝いとして、おむつなし育児の必須アイテムホーローおまるをプレゼントしてくださるなど、私のおむつなしライフに多大な影響を与えました。
おむつなし育児にどハマり
出産・育児は、第一子ならではのたいへんさがあり情緒不安定になりながら(笑)も、基本的には楽しくやっていました。
生後3ヶ月になった頃、おまるももらったし、寝起きにちょっと座らせてみるか…と軽い気持ちで試したところ、
チョロチョロチョロ…
えっ、、えーーーーー!!出たー!赤ちゃんすごーー🤣
悶絶する私。
この時の感動は、今も覚えています。
その成功体験があり、おむつなし育児にどハマり。
赤ちゃんにとってはおむつをつけない方がいいというガッチガチの固定観念も手伝って、生後10ヶ月でパンツにしちゃうという、今思えば暴挙としか思えない行動に出ます😂
家族は大変でした…😂
1歳2ヶ月で保育園に入園した長女は、そこで紙おむつも経験しながらも、なんだかんだで1歳5ヶ月で家ではパンツに。
転園した先の保育士さんの神対応により、1歳8ヶ月で、家でも園でもおむつ卒業となりました。
さらしおんぶ
おむつなし育児に没頭していたものの、初めてできたご近所のママ友たちにそんなマニアックな人はいません。
そこで、妊娠期に後輩に教えてもらったInstagramを始めます。
そこには、おむつなし仲間がたくさん!!
この時代に産まれてよかったと思った
同じような時期に子どもを産んで、同じようにおむつなし育児をしているママたちの投稿にコメントし、いろんな情報やアドバイスをもらっていました。
ある日、湘南おむつなし育児の会&さらしおんぶの会の投稿を発見し、ここでさらしおんぶに出会います。
主催の松園亜矢さんは、書籍も出版されている方です。
その時生後5ヶ月で体幹もしっかりしていたので、早速実践!
ウェブ上の画像を見ながら、見よう見まねで実践し、自分なりに改良を加えていきました。
そこからどこへ行くにもさらしおんぶで出かけるようになり、すっかりおんぶが生活の一部に。
また、遊びに行った保育園や他のママ友からさらしおんぶ教えてほしいと声をかけられるようになっていきました。
さらしおんぶについては、以下の記事をご覧ください。
その時私に「ママさんたちにおんぶを教えて欲しい」と言った保育士さんは、いま園長先生になられましたが、今でも「あのときのおんぶの…」と言うと思い出してくれるのが嬉しいです😊
招致活動とおんぶの先生とマヤ暦
招致活動
第2子となる次女の妊娠期は、長女の時とは打って変わって穏やかなものでした。
出産はねね助産院という、大阪の助産院でさせていただきました😊
ちなみに男の子が欲しいと思って産み分けにトライしましたが、結果は女の子でした笑
次女の産後、インスタで気になってた栗本さんの話が聞きたいと思って東京で開催された講座に参加したものの、いろんな要因が重なり集中してきくことができず…。
次の日たまたま会ったので、「昨日聞けなかったので、講座を主催させてほしい」とお願いしました。
快諾をいただき、場所の確保や人数の取りまとめなどをさせていただきました。
私が主催したその講座には、悩める多数のママさんが参加。
そこで、世間のママさんってこんなにも大変な育児をしてるんだ…!と衝撃を受けます。
おむつなし育児やさらしおんぶを主体的に選択しているママさんって、育児や生活を楽しんでいる人が多かったので、本当に気が付きませんでした。
衝撃でした。
育休中で時間があったこともあり、「ママさんたちを助けないといけない…!」という謎の使命感が開花。
そこから招致活動に邁進します。
育休期間の一年間で、以下のような講座を開催させていただきました。
✏️大、大、大好きなあんどうりすさんの防災講座
✏️アレクサンダーテクニーク 木野村先生のレッスン
✏️小坂達也さんの子育て講座
✏️猿田友さんの電磁波講座
⚱️マルカワみそさんの味噌づくり講座
講座によっては、2回・3回お願いしたりもしていて、月1回のペースで何かやっていました。
いきなりメールを送って、「講座主催させてもらえませんか?!」とお願いしていました🤣
何回も何回も講座に来てくれたママさんもたくさんいて、この時の活動で人脈が爆発的に広がりました。
この活動に費やした時間も人脈も、本当に本当に大切な宝物です。
おんぶの先生
栗本さんの講座の主催から始まった招致活動ですが、逆に栗本さんの方から「さらしおんぶ教えて欲しいから、講座としてやってほしい」と依頼を受けます。
おんぶだけ教えるのもなぁと思って、染めたさらしを持ち帰ってもらうワークショップという形にして初開催。
そこで、おんぶの先生という形で初収入を得ます。
その後も口コミでご紹介いただき、東京・大阪・奈良・京都でワークショップを開催することに。
教えた人数は、延べ100名になりました。
準備がめちゃくちゃ大変な上に、手残りもほとんどないワークショップなのですが笑。
ただ、ワークショップ自体はめちゃくちゃ楽しかったです🥰
ここでも、主催者さん経由でたくさんの方と繋がることができました。
我が家にはおんぶ期の赤ちゃんがいなくなってしまいましたが、いつかまた開催できたらいいなぁと思っています。
この頃は「おんぶのみささん」と言われてたよ
マヤ暦との出会い
マヤ暦を初めて知ったのは、おむつなし育児仲間の「私、今マヤ暦にはまってて!」という発言でした。
マヤ暦って何?という方は、以下の記事も参考にしてください。
集まっていたその場でみんなの生年月日を調べると、私の紋章は赤い蛇と黄色い戦士。
ここでまた衝撃を受けます。
私の本名は、「美沙」という漢字。
沙は「毘沙門天」からもらったと親から聞いていました。
毘沙門天は、武神。戦いの神様です。
マヤ暦の自分の紋章が黄色い戦士だというのを聞いた瞬間、産まれた日と名前の大いなるシンクロに深い感動と感謝が巻き起こり、言葉にできない衝撃を受けました。
そのことを教えてくれたマヤ暦に俄然興味が湧き、友人がおすすめしてくれた木田景子先生のメルマガを登録。
木田先生は著書も2冊出されている、マヤ暦の第一人者の方です。
木田先生のメルマガや著書を読み、関係性をしっかり読めるようになりたいと思って、木田先生が提供されていたマヤ暦講座の受講をスタートしました。
関係性とは、自分の紋章と相手の紋章の関係から人間関係を紐解くもので、以下の記事が参考になります。
その頃、木田先生ご自身も単発のマヤ暦ミラクル子育て講座を各地で開催されていて、メルマガにも参加者募集の旨が記載されていました。
私自身、招致活動を一生懸命していたこともあり、これはぜひ主催させていただきたいと木田先生に個人的にお声がけ。
快諾を得て、木田先生の講座初となる子連れOKの子育て講座を主催させていただく運びとなったのです。
副業とFIRE
質問コーナーとオンラインサロン
なんだか全然休まらない次女育休を経て復帰した私は、それまでの招致活動に一旦目処をつけて、フルタイム会社員の仕事に励みます。
ですが、やっぱり「子育てママさんを助ける活動」を止めたくはなく。
Instagramで子育て論みたいなものを書いていたこともあり、Instagramのストーリーで「質問コーナー」を開始してみたところ、これが大好評。
2019年から2020年夏まで、なんと一年間も継続。
答えた質問は、1,000を超える規模となりました。
みんなその節は本当にありがとう
内容は、頂いた質問に私が片っ端から回答するというもの。
皆さんの役に立てている実感はありましたし感謝もたくさん頂いたのですが、如何せん回答に時間が取られすぎ…。
最後の方は、生活に支障をきたすようになってしまいました😂
質問コーナーが好評だったこともあり、オンラインサロンの形で月額制・質問し放題にしてみたのですが、今までの質問コーナーと形態を変えてしまったこともあり、私の方がうまく価値を提供できず…。
半年ほど続けた結果、サロンは閉鎖することに決めました。
手帳の企画
招致活動などを通して、いろんな方とお会いする機会に恵まれた私は、2020年コロナ禍を機に、昔からぼんやり頭の隅にあった起業願望が本格化してきます。
自分の事業の種を見つけるために、少しずつ動き出すことに。
前述したオンラインサロンも、そのうちの一つでした。
「起業」という軸で考えて、当時「これやりたいな〜」と思いついたのが、手帳。
昔、おむつなし育児を教えてくれた件の先輩に「自社のオリジナル手帳を作る」プロジェクトに参加した話を聞き、手帳って作れるんや!私も作りたい!!と刺激を受け。
自分の手帳を作るというのが、ずっとずっと頭の中にありました。
招致活動中にお世話になった先生が「いつか自分の手帳を作りたい」とおっしゃっていたことをフッと思い出し、それを企画という形でサポートすることで自分の夢を実現しようと思ったのです。
そこからデザイナーの友人に声をかけ、二人で企画書を作って、先生にアポイントを取りお仕事場まで突撃。
ドキドキしながら提案させていただいたのですが、その場で快諾。
その日は個人事業主としてのスタートラインに立った記念の日になりました。
FIRE
時を同じくして、夫の実家継ぐ問題が勃発。
結果として実家を継ぐことはなかったのですが、その時にFIRE(Financial Independence Retire Early)という言葉を知ります。
夫婦で自分たちの将来について語り合う機会が(コロナの在宅も手伝って)格段に増え、FIREを目指して副業も投資もやっていこうということが夫婦の合意になりました。
そのあたりの経緯は、以下の記事に書いています。
現在も、この目標は変わっていません😊
オリジナルグッズ
2023年の大きなチャレンジのひとつに、マヤ暦のグッズ販売というのがありました。
オンラインショップを立ち上げ、オリジナルグッズを販売したのです。
各ページにも書いていますが、マヤ暦は赤・白・青・黄の色を大切にしているにも関わらず、それを生活の中に溶け込ませる文具ってないよな…と気づいたのがきっかけです。
この着眼点は広告会社の方がとても褒めてくださって、そのご縁で一度新聞に広告が載ることとなりました。
「グッズをつくる」という経験を経たことで、デザイナーさんとのやりとり(=外注するということ)や、広告を載せるとどんなことが起こるか、在庫管理や発送の仕方、値段の付け方など、自分の枠から飛び出す経験・スキルを得ることができました。
またこの過程では「しおり屋さんになる」という夢をひとつ叶えることができました。
手帳の企画者になって、しおり屋さんになって…
「やる」と決めた瞬間から、夢が着実に叶っていっています。
今日よりも明日がいいものであると、信じられない日はありません。
毎日が本当に幸せです。
現在の活動(2024)
いままで本当に試行錯誤があって、すべてを記すことはできませんが…
今は、マヤ暦と読書を軸に、マインドセットを絡めて、ブログをしっかり&インスタを育てていきたいな、と思っています。
色々やった結果、私の中に残ったのがこの3つ😊
それを文章やデザインという形で実現してきたい💝
ブログは文章を書くのが好きな私にとって、とても素敵なツールです。
インスタも長らく続けているので、とっても居心地がいい。
SNSはよくご無沙汰してしまうのですが、「やっぱり戻ろう」みたいな感覚がある大切な居場所です。
以下の記事でもブログへの愛を語っておりますので、参考にご覧いただけると嬉しいです🥰
現在当ブログは「毎月3日更新」で進めています🥰
(とはいえ、過ぎてしまうことも多いのですが…笑)
ブログの更新やショップのご案内については、公式LINEで配信しておりますのでこちらを参考にしてください💗
まだまだ全てがよちよち歩きですが、長い目で見て応援していただけるととっても嬉しいです😊
まとめ -すべての経験があって今がある-
Instagramで昔書いた子育て論は「みささんの視点が参考になります!」と好評をいただいたのですが、もともとそんな思考だったわけではなく、出会った人、今まで読んだ本、すべての経験があって今があります。
結婚するまでの人生も、子どもが産まれてからの人生も、本当に大好き。
毎日が、今までの人生で一番楽しいです。
これからもブログやSNSを通して、たくさんの出会いや気づきを得ていきたい。
それを全力で社会に還元していきたいと思いますので、これからもますますお付き合いいただけると嬉しいです。
これからもどうぞよろしくお願いします✨
長文になりすぎましたが、ここまで読んでいただき本当にありがとうございました!!
愛が止まりません。
この世界の全てに、心から感謝しています💝
みさ ∞ LOVE